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法然院
4月7日に撮影
鎌倉時代初め、専修念佛の元祖法然房源空上人は、鹿ケ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼賛を唱えられた。、、、
法然上人の教えに生きる専修念佛者は、自身が凡夫・愚者・悪人であることを自覚し、生きとし生けるものの極楽往生と成佛を約束する阿弥陀仏の本願を信じて「南無阿弥陀仏」を唱え、生涯自己中心的でありながら一切衆生の成仏を願う悲願に生きます。
京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町・・法然院
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2012.04.30 Mon l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
丸亀城
車窓から見た雨の丸亀城

通称 亀山城、蓬莱城
築城主 奈良元安
主な城主 生駒氏、山崎氏、京極氏


いつも通過してしまうが、機会を作って登城してみる必要がありそうだ。
2012.04.27 Fri l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
主を七人替え候―藤堂高虎の意地 (幻冬舎時代小説文庫)主を七人替え候―藤堂高虎の意地 (幻冬舎時代小説文庫)
(2010/06)
小松 哲史

商品詳細を見る

藤堂高虎、名前は知っている城の縄張りで有名。
浅井長政、阿閉貞征、磯野員昌、織田信澄、羽柴秀長(羽柴秀保)、豊臣秀吉、徳川家康
七人とは上記の七人。
奥付けを見ると2007年8月発行、著者の小松氏は歴史小説はこれが初めて。
他の著書はMBAとかビジネス関連の本、それを見て納得。
文中に戦国の主従の関係を現代の会社に置き換えての表現がある。

全体的に物語としては面白く読ませてもらった。
★★

2012.04.25 Wed l 書籍 l コメント (0) トラックバック (0) l top
赤松
竹田城を訪れた時の写真。
駅裏にあるお寺に竹田城最後の城主「赤松広秀」の墓があります。

最後の城主である赤松広秀は関ヶ原の戦いでは西軍に属し、田辺城(舞鶴城)を攻めるも、西軍は敗戦。徳川方の亀井茲矩の誘いで鳥取城攻めに加わって落城させるが、城下の大火の責めを負い家康の命によって、慶長5年10月28日(1600年12月3日)鳥取真教寺にて切腹。享年39歳。竹田城は廃城となった。


2012.04.24 Tue l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
蔵屋敷
天王寺公園に行った時の撮影で大阪府有形文化財だそうである。

「天下の台所」となった江戸期の大阪は、物流や金融の中心地でした。
各地の特産物が集められて、諸藩に売買されたり、長崎経由で海外へ輸出されました。諸藩は水運に便利な中之島周辺の川沿いに蔵屋敷を建て、倉庫兼販売所、藩士の住居として使用。17世紀後半から蔵屋敷が増え、19世紀後半の明治維新直後には135邸を数えたといいます。
旧黒田藩蔵屋敷長屋門は、江戸中期の蔵屋敷の遺構をもつ希少な存在で、現在の中之島三井ビル付近(渡辺橋南西)にあったもの。昭和期の同ビル建設時に大阪市に寄贈され、市立美術館南側に移築しました。立派な門構えから当時の繁栄がうかがえます。


2012.04.20 Fri l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (1) l top
青屋門
大阪城二ノ丸北に位置する門。
私が城に登城するときは、いつもこの門を潜る。
JR大阪城北詰で降りて新鴫野橋を渡る。
ちなみにこの橋は、江戸時代、公儀橋であった「鴫野橋」の架かっていたところとほぼ同じ位置に架けられている。
それから青屋門を潜ると左に梅林が見える。
「青屋」の名については、戦国時代この地にあった大坂(石山)本願寺の寺内町「青屋町」に由来するそうだ。
今この時期はもう梅林にはほとんど人影がないが、花の盛りには大勢が来る。
この門は過去に2度ほど被災し立て直されている。
最初は明治維新の大火で被災し、二度目は昭和20年の空襲で大破したそうだ。
昭和44年(1969)、大阪市が残材を用いて再建したのが現在の門という事である。

2012.04.19 Thu l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
竹田城址
念願の竹田城に行って来た。
とにかくあのマチュチュのような写真を見て一度は行こうと思っていた。
この城は1400年中盤に但馬守護の山名持豊の有力家臣太田垣が築城したとされている。
その後1600年に近い頃に現在のような豪壮な石垣積の城郭になったそうである。
別名虎臥城(とらふすじょう)とも呼ばれて、南北400m東西100m
天守台の標高は353.7mです。(登ると結構急こう配です)
みどころは残された石垣、見事な穴太流の石積みと綱張りです。
写真的には雲海に浮かぶ城が最高でしょうが、そうなると早朝に行かなければいけません。
最後の城主、赤松広秀が関ヶ原の戦いで西軍として参加したため、1600年10月28日
鳥取で自刃して城も廃城となったそうである。

2012.04.11 Wed l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (1) l top
茶臼山

天王寺公園に行って初めて茶臼山に行った。
大阪冬の陣、夏の陣で徳川と豊臣方の戦いの舞台となった場所。

大阪市内でも最大級の前方後円墳だが被葬者は不明である。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となった。


それから400年、今は公園をのんびり散歩する人たちがいて、
季節は春、桜がもうすぐ満開を迎えようとしている。
天王寺に行くことあれば、寄ってみるのもいい。天王寺駅からすぐ。
2012.04.05 Thu l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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