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むしん

白雪の工場を訪れた時にあったものです。
お聞きすると近藤勇が無心をした時の礼状だとか。
よく見ると「金五拾両」と言うのが書かれています。
文久三年のことのようです。


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2011.11.30 Wed l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
あみだ

坂本の慈眼堂に13体の阿弥陀如来石像がある。

近江国観音寺城主六角承禎が、母の菩提のために母の郷里近江鵜川の地に、
弥陀の本願に基づき、弥陀の石仏四十八体を奉安した。
そのうち十三体を、江戸初期に天海大僧正が当地に移したものである。

だそうである。
六角承禎と言えば、永禄11年(1568年)、織田信長率いる上洛軍と戦って敗れ、
居城である観音寺城を去ることになる(観音寺城の戦い)。
また、明智光秀は秀吉に打ち取られたのでなく、逃げ延びて天海になったと言う説も。



異聞本能寺異聞本能寺
(2005/10/13)
一志 晶綱

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2011.11.29 Tue l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
あのうずみ

紅葉の季節、何度か訪れた比叡山坂本
穴太衆積みと呼ばれ、加工しない自然のままの石面を巧みに用いて
石積みの面を構成し自然の美しさをたもっている石垣が多くみられます。
比叡山はあの織田信長が焼き討ちをして、大量虐殺をしたことでも有名な地。
そんなことは感じさせない、穏かな紅葉と石垣がありました。

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2011.11.28 Mon l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ジョン・マン 波濤編 (100周年書き下ろし)ジョン・マン 波濤編 (100周年書き下ろし)
(2011/01/06)
山本 一力

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山本一力という事で手に取ってみた。
よく見ると「波濤編」とある、読んでみると後編があるんだろうと思う。
物語はアメリカのニューベッドフォードでの話(ここでの一力節がおもしろい)と並行して
土佐の国中の浜での話が進行する。
土佐の国は12歳の万次郎、ニューベッドフォードはホイットフィールド船長。
この後万次郎はアメリカに渡り、ジョン万次郎と言われるようになるはず。
この本ではまだ、二人は出逢ってない。

★★★

2011.11.24 Thu l 書籍 l コメント (0) トラックバック (0) l top
だいもつくずれ

大物くずれの戦跡碑
右側の説明には

応仁の乱をきっかけに、戦国時代となった頃、室町幕府の実権を握った細川氏も、内部で対立してきます。細川政元の養子、高国と甥の晴元がそれぞれ対立すると、尼崎の地でたびたび戦火を交えています。享録4年(1531)両者が決戦するに至ったとき、高国勢は総くずれになり、高国が居城した尼崎城(大物城か)へ逃げ込むほどの大敗となりました。晴元勢の攻撃は激しく高国は大物の広徳寺で自刃しました。この戦いを世人は「大物くずれの戦い」とよんで、語り伝えられてきました。


と書かれています。




2011.11.22 Tue l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ひげのわたし

江戸時代に武庫川を超える西国街道の渡しがあった。
西昆陽村に髭を生やした老人の茶屋があったことから、「髭の渡し」と言われた。
参勤交代の大名や、多くの旅人に利用されたこの渡しは
明治の終わりころまで続いたそうです。
丁度今頃は、たくさんのコスモスで河原は埋め尽くされています。




2011.11.21 Mon l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
御隠居忍法 振袖一揆御隠居忍法 振袖一揆
(2010/12)
高橋 義夫

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元御庭番の鹿間狸斎が主人公の物語。
後半くらいから徐々に面白さがまし、引き込まれてゆく。
★★(今回から満点で★三つを付けてみる)

2011.11.19 Sat l 書籍 l コメント (0) トラックバック (0) l top
さくらい3

藩主の櫻井松平家を祀っている神社です。

さくらい2

尼崎城は残っていませんが、天守の棟瓦保存されています。

さくらい1

これが現在の市章の原型だそうです。
2011.11.18 Fri l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
いなでら1

猪名寺廃寺は673年(天武元年)頃の建立と言われています。
仏教の日本伝来が538年と言われていることから、非常に古い寺です。

いなでら2

現在残ってはいませんが伽藍配置は、法隆寺式伽藍です。
塔心礎が残っています。
荒木村重と織田信長の合戦の際に伽藍は焼失したと考えられています。







2011.11.17 Thu l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
437年前の1574年(天正2年)11月15日
摂津の守護・伊丹親興(いたみちかおき)が荒木村重(あらきむらしげ)に敗れ伊丹城(兵庫県伊丹市)で自刃した日です。
伊丹城はJR伊丹駅前に城址が残っています。

2011.11.15 Tue l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ぜんしょうじ

全昌寺(曹洞宗)
1617年、尼崎藩主の戸田左門氏鉄が尼崎城築城時に
寺を西方に集めて寺町を作った。
全昌寺はその戸田氏の菩提寺である。
当初滋賀県大津に建立されていたが、戸田氏が尼崎藩主として
移封入場の際に、随伴した雪山呑秀和尚によって再興された。



2011.11.14 Mon l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ほうおんじ

法園寺(浄土宗)
この寺の門前には写真の石碑があります。
これは、秀吉から九州での責任を取らされ
1588年切腹を命じられた、北陸の武将
佐々成政の墓と伝えられているそうです。
成政は越中で治水に尽力したり、真冬の
北アルプス越えという離れ業で有名です。
越中に埋蔵金の伝説もあるそうです。








2011.11.13 Sun l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
大脱走―裏切りの姫大脱走―裏切りの姫
(2009/06)
鈴木 英治

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舞台は長篠の合戦から7年後
姫とは信君の妻・千鶴
追うのは武田勝頼の馬廻り・前島平蔵
息詰まる脱出劇
読み始めると、最後まで一気に読んでしまう面白さ。







2011.11.12 Sat l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
槍持ち佐五平の首 (文春文庫)槍持ち佐五平の首 (文春文庫)
(2004/04/07)
佐藤 雅美

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読んでから気が付いた。
作者の佐藤氏は以前読んだ「大君の通貨」の作者だった。
この本は「槍持ち佐五平の首」をはじめ、8編の短編からなっている。
「週刊小説」と「オール読物」に掲載されたものだ。

小南市郎兵衛の不覚
槍持ち佐五平の首
ヨフトホへル
重怨思の祐定(かさなるうらみおもいのすけさだ)
身から出た錆
見えは一日 恥は百日
色でしくじりゃ井上様よ
何故一言諌メクレザルヤ

いずれも武士社会に生きる男の話で、現在のサラリーマンにも共通するところがある。




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2011.11.11 Fri l 書籍 l コメント (0) トラックバック (0) l top
こうとくじ

廣徳寺(臨済宗)
京都大徳寺派の寺
ひでよし

太閤秀吉ゆかりの寺として有名です。
1582年、本能寺で織田信長が明智光秀に倒されたとき、
遠征先から急いで戻ってきた豊臣秀吉は、途中軍勢を離れ、
一人尼崎にさしかかった。
しかし、明智方の武将に追われて廣徳寺に逃げ込んだ。
そこで、髪をそり僧にばけて台所で味噌をすっていた。
僧に中に紛れ込み、追手から逃れた。
その時に使ったというすり鉢とすりこぎが、
廣徳寺に伝わっています。


2011.11.10 Thu l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ほんこうじ
大本山本興寺
法華宗の大本山、応永27年(1420)の創立。
開墓は日隆聖人(1385~1464)。
元和3年(1617)尼崎城築城のため現在の場所に移転。
本堂は文政5年に類焼したが、文政10年(1827)に再建された。
庭
当日は本堂の中なども見ることができ、
小堀遠州の作と伝えられている枯山水の庭も見る事が出来た。






2011.11.09 Wed l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
千両花嫁―とびきり屋見立て帖 (文春文庫)千両花嫁―とびきり屋見立て帖 (文春文庫)
(2010/11/10)
山本 兼一

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時は江戸時代末期
道具屋「とびきり屋」を舞台にした市井の物語
と思いきや、場所が京都だけに坂本龍馬や新撰組、はたまた勝海舟などが登場し
市井の主人公から見た、幕末の物語でもある。
そんな着眼点がおもしろい。

千両花嫁    2004年12月号
金時絵の蝶   2005年4月号
皿ねぶり     2005年10月号
平蜘蛛の釜   2006年4月号
今宵の虎徹   2006年10月号
猿が辻の鬼   2007年1月号
目利き一万両  2007年12月号
いずれも「オール読物」初出

2011.11.07 Mon l 書籍 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ぬしさまへぬしさまへ
(2003/05)
畠中 恵

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続けて読んでしまった。
おなじみ若だんなの一太郎、幼いころから面倒を見ている二人の手代。
仁吉と佐助、それに鳴家などの妖達の織り成す様々な物語。









2011.11.04 Fri l 書籍 l コメント (0) トラックバック (0) l top
11月3日は佐竹義昭が永禄8年(1565年)11月3日、常陸統一を目前にして突如として急死した日である。
享年35。
これは旧暦なので現在の日付に直すと11月25日という事にはなるが。
常陸の戦国大名で、佐竹氏の第17代当主。常陸太田城主である。








2011.11.03 Thu l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
newspaper

本日の読売新聞に掲載されていた記事
内容は
織田信長の祖先とされる鎌倉時代の「親真」(ちかざね)の墓石が福井越前の剣神社近くで確認。
織田氏の系図は親真が平氏の一族とし、信長も平氏を名乗っていた。
ところが今回の墓石から、それがうそで系図を書き換えた可能性が高いようだ。
それは、信長が天下を取るために、武士である平氏の末裔である必要があったためと思われる。

信長の系図では親真の曽祖父は平清盛、父は資盛。
親真は後に忌部氏の養子となり、正元2年(1260)に没したとされている。
ところが資盛は平氏滅亡の(1185)際に死去している。
今回確認された墓石には正応3年(1290)に親真は亡くなっていると刻まれている。
となると父親の資盛が死んでから、115年も生きてることになる。
という事で結論は家系図の書き換えがあったという事に。






2011.11.02 Wed l 史蹟写真 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ねこのばばねこのばば
(2004/07/23)
畠中 恵

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表紙とタイトルに魅かれて読み始めた
以前から気にはなっていたが、
読んでみると、読むにしたがって面白味がわいてくる。
妖怪人間ベムとか怪物くんの江戸時代版といったところか。





2011.11.01 Tue l 書籍 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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